レコンキスタ。
 それは宗教的熱狂だ。
 元の意味は『再征服』らしいけど、歴史的な事象になぞらえてそう呼ばれる以上、これはそれだけに止まらない。
 熱に浮かされて彼らは叫ぶ。
 これは正当な戦いだ。不当に奪われていたボンゴレの権利を回復する。
 それは宗教がかった熱狂だった。神様に魅入られたみたいに、彼らは進む。
 この地がかつて、初代の昔、ボンゴレのものだったことなんて……皆、忘れ果てていたのだけれど。――彼が、ボスになるまで。


 気がつくと、全身が血に濡れていた。水の底から息を吹き返すみたいに、あるいは朝けだるく眠りから覚めるように、私が私になる一瞬前に、その重く湿った感覚が私をひたす。
 ……そう。あくまで一瞬だ。次の瞬間には、私はただ意識を途切れさす前の状態のまま、そこに立っていた。
 違いと言えば――さっきまで私を取り巻いていたはずの敵が、ばたばたと地に倒れ伏していることくらい。
 彼らが『何』を見せられたかは、今の一瞬、私が感じたイメージで、想像がつくというもの。
「終わったの? 骸様……」
 胸の底の方で、かすかに頷くような気配があった。
(――少々、疲れました)
 声のイメージは、少しかすれていた。
「……ごめんなさい。私が」
(君は悪くありませんよ。ただ彼らがふがいなかっただけのこと。まったく、僕がここまでしないといけないなんてね)
「……」
(……それでも、あちらも終わったようです)
 私は遠くに、収束しつつある戦いの様子を眺めた。
「……うん……表の戦いも、終りそう」
 そして同時に、裏向きの戦いも……骸様が、カタをつけた。
「――もう、きっと大丈夫。骸様も、休んで」
(……そうですね)
 疲れているはずだ。彼がこの世に現れることには、少なからず無理がある。
 それでも彼は、口では文句を言いながら、これを、やめない。
 ボンゴレの闇を負って、表向きに出来ない仕事をこなす。
 遠い視界の先で繰り広げられる華やかな熱狂とは別の、暗い熱意に突き動かされるように。
 まるで信仰だ。と、私は時々思う。
 表れ方こそ違うけど、誰もがあの人を信じ、自分の人生をそこに託す。身ごと、心ごと、世ごと、投げ出すようにして。
 そんな、まだ冷めやらぬ熱狂が渦を巻いている真ん中で。
 ボスが、グローブをはめた手を高々と差し上げた。勝利宣言。歓声が湧いた。戦闘終了の合図だ。
 それはまるで――宗教画に出てくる救世主か、それとも。
 神様、そのものみたいに。


 ――今夜は私の番。
 祝勝の宴が終わった深夜、骸様から預かってる槍先を手に、私はボスの部屋へ向かう。
 と、廊下の途中で、ひとりの青年とすれ違った。
「ちっ……今日は、テメーか」
 舌打ちするのは、嵐の守護者だ。一際、ボスへの『信仰』篤い人物のひとり。
 ……ううん。守護者は、皆、形は違っても似たようなものだ。
 ピラミッドの上に行くほど、ボスへの傾倒は深く篤い。
 だからこそ、夜毎、順に入れ替わり、無防備な寝室に侍る護衛の権利を得る。
 神様の眠りを守ることが許されるのは、信仰の頂点にいる神官だけなのだ。
 そして今日は、霧の守護者の順番。だから私が行かなくちゃ。
「いいか、10代目はお疲れなんだからな。煩わせるようなことすんじゃねーぞ」
「……うん」
 分かってる。大丈夫。
 頷いて見せて、私はボスの部屋へ急いだ。
(大丈夫よ)
 と、もう一度心の中で思う。だって、きっとボスは――。
 広い屋敷だ。しばらく歩いて、やっとその部屋の前にたどり着いた。
 ノックしてから、重厚な扉をくぐる。
「……こんばんは。ボス」
「ああ……髑髏。今日は君だっけ」
 服装を緩めたボスに迎えられた。
 ボスは、疲れているみたい。
 ネクタイを緩め、シャツのボタンを外す、その手つきも億劫そうだ。
 ……ううん。本当は、昼の戦いのときから、疲れているように見えた。
 祈るように拳を振るう彼は、戦いの間、少し寂しそう。
 それは、勝った時も。ううん、勝ったときほど。
 彼へ熱狂する人間達の真ん中で、当の神様は対照的にちょっと冷めて……疲れているように、見える。
 そして、そんなときは、いつも。
「……骸は?」
 ボスは、骸様のことを尋ねるのだ。
「骸様は……多分、しばらく出てこられないと思う」
「……そっか」
「ごめんなさい」
「どうして髑髏が謝るの」
 ボスは小さく笑った。私も笑みを返す。
「君で良かったよ。今日は……ちょっと、疲れたから」
 ボスは時々言う。私といると、なんだか少し楽なんだって。
 それはね、ボス。多分、私には、別の『神様』がいるから。
 ボスと会う前に出会った神様。私を救ってくれた存在。私に命をくれた存在。
 だから、ボスのことは好きだし大切だけど、それは人として。ただの人間の男性としてのこと。私にはあの、彼を取り巻くような熱狂は持てない。
 だけど、かえってそれがあなたには気楽なのかなって思うの。
 寂しい神様。きっと、ボスは知ってる。骸様がしてること。彼が今日得た勝利の意味。
 だから、疲れた顔をするのだろうか。
 だから、骸様のことを聞くのだろうか。
「ありがと、髑髏。それから……こっちこそごめんな」
「どうしてボスが謝るの」
「だっていくら守護者って言ったって、女の子がこんな、男の部屋に夜詰めるなんてさ……。ほんとは、良くないよな」
 おかしなことに、この人は本気でこんなこと心配してるのだ。
 骸様のことは、罪人としてマフィアに知れ渡っているから、表向きは私が霧の守護者。ボスの側近くにいられる守護者の中で唯一の女として、私はとっくに『ボスの女』と見られてる。
「恋人が出来たら、言ってくれよ。髑髏。オレがちゃんと話つけるから。あ、護衛のシフトも外してもらって――」
「……ふふっ」
「……なんで笑うの」
 だって、おかしいんだもの。
「ボス、本気で言ってるの? こんなカラッポの私の身体を、欲しがるような男がいる?」
 内臓のない体の中心を撫でて、私は笑う。こんな身で恋人なんて、望むべくもないと思う。別に、欲しくもないし。
 なのにボスは、むっと顔をしかめた。
「そんなこと、ないって。髑髏は綺麗だし、魅力的だよ。オレなら放っておかない」
 ……困ったことに、この人は本気でこんなこと言い出すのだ。
 彼の立場で、不用意にそんなこと言ってはいけないのに。
 困った神様。こんなにも、この家にはあなたを好きな人があふれているのに。
 私まで口説いちゃ、ダメよ。ボス。
「……じゃあ、もしもボスみたいな物好きがいたときは、相談するわ。ボスと――骸様に」
「……あー……」
 そういえば、それもあったよな、と、ボスは小さく呟いた。
 そうよ。私には神様がいるの。ボス以外の、神様。私に、力と生きる意味をくれる存在。
「もう寝て、ボス。疲れてるんだから。――優しい夢を、贈るから」
「……ああ」
 促してベッドに横たえさせたボスの額に、私はそっと手を当てた。
 私が夜の護衛の順番のときは、いつもこうして夢を贈る。
 今日は何がいいだろう。森。花畑。それとも、静かな海辺?
 私の力は骸様ほどじゃないから、夢の幻で複雑なことはできない。私が創る幻の景色に、人はいない。
 でも、それでいいんだと思ってる。
 疲れた神様。せめて、夢の中では……誰の想いも背負わずに、ひとりで休んで。
 私の神様はあなたではないけれど、だからこそささやかな捧げ物ができる。私の神様から預かってるこの力で。
 ――せめてもの、孤独の夢を。



世界史で無理矢理歴史覚えてたときはしんどかったけど、これは響きが好きでなんとなく覚えてた単語です。意味は違ったかもしれない…(待て)